がん治療において、治療方針を選ぶのも、その治療の継続を決めるのも患者さん次第です。患者さんが諦めてしまえば、それを強制する力は医療者にも家族にもありません。このため、がん治療ではメンタルケアが重要となります。今回は、患者さんの心理変化と、意思を持ち続けるための方法、家族にできることに焦点を当てて、意思を持ち続けるために必要となるものをご紹介していきます。
治療に後ろ向きになるのは仕方ないこと
抗がん剤を用いる化学療法は、一部のがんを除いて完治させることは難しく、治療の目的としてはがんの大きさの縮小や延命、症状緩和を目指すことになります。完治は見込めない、効果も期間も試してみなければ分からない、それなのにつらい副作用は必ず付きまとう。この状況では「治療する意味が分からない」「これ以上つらい思いはしたくない」と、治療に対して後ろ向きになってしまうことも無理はありません。
がんの告知を受けて、否定的な気持ちばかり考えてしまうのは、至って正常な反応です。しかし、この感情に支配されて治療を受けないことにしたとして、数ヶ月後、数年後に気が変わったときには、もう手遅れになってしまっていることも珍しくありません。
治療法を選択するのは患者さん自身であり、医療者はあくまでそれを手助けすることしかできません。
否定的な感情を持つことは当たり前のことです。でも、その後気持ちを切り替えて治療に臨むのか、すべてを諦めてしまうのかは患者さん次第です。
それでは治すのが難しい治療とどのように向き合えばいいのか、その第一の助けとなるのが“情報”です。
知識は恐怖を和らげる
人は物事に対して知れば知るほど、漠然としていた不安が解消していきます。
がんは怖い。では、なぜ怖いのでしょうか。小さい頃からそう聞かされていたから、どういうものなのか分からないから、知人が副作用で苦しんでいたから。理由はさまざまかもしれませんが、漠然としてものに対して恐怖を感じていることが多いのではないでしょうか。まずは敵を知るところから始めましょう。
たとえば副作用について、医師から多くの副作用の可能性を説明されることでしょう。しかし、これはあくまで可能性の話です。説明された副作用がすべて現れるわけではありません。ないものに脅かされて命を犠牲にしてしまうのは、とても悲しいことです。
誤った先入観によって医療に対する恐怖が生じていることも珍しくありません。まずは正確な知識を得て、本当に怖いものなのか、自分の中でかみ砕くことが大切です。
信憑性のある情報を
ここで1つ注意してほしいのは、その情報が正しいものなのか、一度立ち止まって考えることです。現在ではインターネットからも医療に関する情報を得ることができます。発信源が分からないものや、良い話ばかりしているものなど、不正確な情報も少なくありません。
情報には、研究に基づくものと、体験談や感想など個人の主観によるものがあります。情報の信憑性を判断するためには、複数の情報を照らし合わせたり、主治医に確認をとるなど、情報を取捨選択できる能力が必要になります。
具体的にどのようなことを知ればよいか
患者さんの状況について最も詳しいのは、他ならぬ主治医です。がんの告知を受けたら、まずは以下の情報について確認するようにしましょう。
- なんというがんか
- がんと診断する根拠となった検査の結果
- この診断は確定なのか、まだ疑いの段階なのか
- がんはどこにあり、どこまで広がっているのか
- 受けられる治療にはどのようなものがあるか
- 主治医が勧める治療はどのようなものか、なぜその治療を勧めるのか
- 日常生活にはどのような変化が生じるか
- 普段の生活習慣で気を付けることはあるか
説明を受けるときは、メモを準備しておくことをおすすめします。一度では理解できないこともありますし、後で確認する際にも役立ちます。患者さんの中には、あまりのショックのために「どうやって家まで帰ったか覚えていない」ということもあるほどです。
また、可能であれば、受診の際は家族に一緒に来てもらうとよいでしょう。親しい人がそばにいるだけで心が落ち着きますし、また客観的に話を聞いてくれる人がいることで、的確な質問にもつながります。
上記の内容は一度に聞く必要はありません。少しずつ納得しながら、何回かに分けて質問することで、理解が深まります。
主治医が勧める標準治療とは
治療方針を決定する上で、まず主治医が勧めるのは「標準治療」となります。標準治療というと、平均的な、当たり障りないというイメージを受ける方もいらっしゃるかもしれませんが、“標準治療=最善治療”と解釈しましょう。
標準治療は、国内外で多数行われた臨床試験のデータから、その有用性と安全性が証明されている治療法です。抗がん剤はがん細胞とともに正常な細胞をも傷つけます。身体が許容できる範囲内の投与量で、最大限に治療効果を得られる方法、これが標準治療です。
ガイドライン
標準治療はガイドラインに基づいて行われます。ガイドラインとは、がんの種類に応じて、部位や種類(組織型)、ステージごとに治療方法が決められている、いわば治療のルールブックのようなものです。このガイドラインは科学的根拠(エビデンス)によってA~Dまでランク付けされており、毎年専門医の集う学会で精査され、更新されていきます。
グレードA:十分な科学的根拠があり、積極的に推奨する
グレードB:科学的根拠があり、推奨する
グレードC:科学的根拠は十分とはいえないが、細心の注意を払えば考慮してもよい
グレードD:患者に不利益が及ぶ可能性があり、実施しないことを推奨する
標準治療はグレードAとなり、B、C、Dの順に科学的根拠の支持率が下がっていくのです。
しかし、ステージが進行しているものでは、グレードAが1つしかなかったり、場合によっては1つもないこともあります。また、持病のためにグレードAの方法がとれなかったり、患者さんの強い希望のために選択しないこともあります。この場合は、B、C、Dと標準治療以外の治療法も選択肢となります。
この場合、標準治療からはずれることはありますが、全く科学的根拠のない治療法がガイドラインに載ることはありません。最善の治療法ではあっても、それがすべての人に完璧に当てはまるわけではないのです。
標準治療と患者さんの意思
治療に不満がある場合、強い副作用や病状の悪化がみられたときに「こんな治療受けなければよかった」と諦めたくなってしまうこともあるかもしれません。そうならないために、自身のがんの状態を正しく知った上で、自身のライフスタイルと照らし合わせて治療方法を選択することが必要になります。長生きするよりも大事なものがある、そういう強い信念のある人は、嫌々我慢しながら医師の勧める治療に従う義務はありません。
たとえば、肺がんのうち小細胞がんでは、脳への転移を予防するために頭部全体に放射線を当てる全脳照射がグレードAとなっています。しかし、全脳照射には、動作が緩慢になる、物忘れが増えるなどの副作用が起こる可能性があります。がんの転移を予防することと、日常生活が変化してしまう可能性と、どちらを優先するかは患者さん次第です。
また、標準治療はあくまで大多数の人にとって最善な治療法であり、誰にでも確実に奏功するものではないことに注意が必要です。グレードA、B、Cの治療が奏功しなかった人が、Dで改善したという例もあります。納得して治療を受けるためには、自身が何を1番大切にしているのか、明らかにすることが重要です。
意思を持ち続けるために
繰り返しになりますが、治療方法を決めるのは患者さん自身です。患者さんがもうやめるといえば、医療者にもご家族にもその医師を却下する権限はありません。治療を始める際には、どの治療方法を選択するか重大な決断を迫られますが、その後も、治療を継続する意思を持ち続けることが大切になります。
このためには、あらかじめ副作用など治療上のマイナス面を覚悟しておくことが重要です。それでも不安に押しつぶされそうになったとき、患者会が力になってくれることもあります。
患者会
患者会とは、同じ病気の患者同士が情報を交換したり、支え合っていけるような場です。患者会は主に患者さんや家族、あるいは遺族が主体となって立ち上げていますが、病院が支援していることもあります。
闘病を経て日常生活に復帰できた患者さんが、これから治療に臨む患者さんに対して、知りたい情報を提供し、経験をもとに共感してくれることで、患者さんにとってとても心強い支えとなってくれることでしょう。
家族がどんなに一生懸命支えていても、患者さんは孤独感を抱えていることは少なくありません。しかし、同じ経験をした人から話を聞くことで理解が増し、その人が今現在活き活きと過ごしていることが、患者さんにとって希望になります。
家族の接し方
患者さんがどれだけ医療者を信頼していても、一番の心の拠り所となっているのは紛れもなく家族です。患者さんが病気を受け止め、治療方法を選択し、それを継続するためには、家族の支えが必要不可欠です。それでは、家族はどのように接すればよいのでしょうか。
一番大切なのは、いままで通り接し、患者さんの悩み事は一緒に考えるという姿勢です。家族は聞き役に徹して、答えは出さない方がよいでしょう。また、励ましすぎるのもよくありません。
患者さんを心配するあまり、腫れものに触わるように接し、また世話を焼き過ぎると、患者は悩みを打ち明けづらくなります。
また、話を聞き出そうと「元気がなさそうに見える」「落ち込んでない?」と聞くことも勧められません。患者さんが感情を押し殺しているとき、その感情に自分自身が気付いていないことがあります。すると、患者さんはよりいっそう強く否定し、耳を塞いでしまいます。家族は、患者さんの感情を決めつけるのではなく、患者さん自身に気付かせるような声掛けが求められます。
「話したいことがあれば聞くよ」「家族で支えるから、なにか悩んだら一緒に考えよう」と、患者さんが助けを必要としたときに、すぐ助けを求められるような環境作りが重要になります。
また、「そんなに心配しなくて大丈夫」「気にしないで頑張ろう」と安易な励ましは逆効果です。これは患者さんに自分の感情を無視するように言うのと同じことです。患者さんは「落ち込むのはいけないことだ」と思ってしまい、いっそう感情から目をそらすようになってしまいます。
がん治療は身体的にも精神的にも、常に苦痛がつきまといます。その中でも治療を受ける覚悟を決め、その意思を継続するためにはメンタルケアが重要になります。その支えとなるのは、情報であり、知識であり、同じ経験をした患者さんとの交流や、いつも通り接してくれる家族なのです。
自身が何を恐れているのかを知り、どんなことに不安を感じているのか言葉にし、何を1番大切にしているのかを伝えることで、周囲の人も適切な配慮ができるようになります。