多くの日本人は、漢方薬によい印象を持っているのではないでしょうか。「体にやさしい」「副作用が少ない」といったイメージを持っている方もいるでしょう。漢方薬をがん治療に使おうという動きがあります。「漢方薬でがんを治すことができる」という医師もいます。
しかし、抗がん剤ががん細胞を叩くようには、漢方薬はがん細胞に作用しないと考えるのが、日本の医学界の常識です。患者さんや家族は「漢方薬でがんを治すので、がん3大療法(手術、抗がん剤、放射線)は受けない」ということがないようにしたいものです。
ただ、がん治療において漢方薬がまったく無力かというと、そのようなことはありません。がん細胞を叩くだけががん治療ではなく、漢方薬にしかできないことがあります。がん患者さんは、3大療法を行う医師と漢方薬を扱う医師の両方の指導や助言を受けて、最適かつエビデンスのある医療を受けるようにしましょう。
漢方薬とは
漢方薬とがん治療の関係をみる前に、そもそも漢方薬とはどのような薬なのか、確認しておきましょう。それというのも、漢方薬については多くの誤解があるからです。
【誤解1】副作用がない
漢方薬には副作用がない、というのは誤解です。
漢方薬にも副作用があります。ただ、化学由来の医薬品よりは副作用は少ないとされています。
【誤解2】サプリのようなもので、なんとなく体に効く
漢方薬はサプリのようなもので、なんとなく体に効く、というのは誤解です。「漢方」と名のつくものでも、ドラッグストアで気軽に買うことができる、サプリのようなものがあるのは事実です。
しかし「漢方薬」は、れっきとした薬です。医師による処方でしか使うことができず、公的医療保険を使うことができる、厚生労働省が認可した漢方薬は多数あります。
【誤解3】漢方薬は中国の薬である
正しくは、「漢方薬は中国を起源とする、日本で独自に開発された漢方医学で使われる薬」となります。
漢方薬の分野で「生薬(しょうやく)」という単語をよく聞くと思いますが、自然の植物、動物、鉱物でつくられたものを生薬といいます。漢方薬は複数の生薬を混ぜてつくられています。
【誤解4】「漢方薬より、西洋医学のほうが優れている」または「西洋医学より、漢方薬のほうが優れている」
「漢方薬より、西洋医学のほうが優れている」または「西洋医学より、漢方薬のほうが優れている」という見解ですが、どちらも正しくありません。漢方薬と西洋医学の薬は、どちらが優れているということはありませんし、対立もしません。
西洋医学とは、現代の科学で効果が立証された医学のことです。いわゆる普通の病院で普通に処方される薬の大半は西洋医学の薬です。西洋医学の薬は、化学に裏打ちされていて、効く理由(エビデンス)が解明されています。
漢方薬は、科学で効果が立証されている点では同じですが、なぜ効くのかという「理由」よりも、効果があって副作用が小さいという「結果」を重視している一面があります。
多くの日本人は、西洋医学が開発した化学でつくる薬品の信頼性は揺るがないとしても、自然由来で副作用が少ないとされる漢方薬は、体をいたわりながら病気と闘うことができる、というイメージを持っていると思います。
このイメージは、漢方薬と西洋医学による薬の両方をとらえているといえるでしょう。
日々の健康は西洋医学で維持しながら副作用がきつくなってきたら漢方薬を使用する、といったスタンスでもいいですし、その逆に、漢方薬をメーンにしながら、足りない部分を西洋医学で補強する姿勢でもいいでしょう。両者をうまく使いこなすことで、健康を保持しやすくなります。
抗がん剤の副作用対策としての漢方薬
医師で漢方医の今津嘉宏氏は、日本漢方生薬製剤協会が主催した講演会で、抗がん剤の副作用対策に漢方薬が活躍している、と述べています。今津医師の話を元に、がん治療と漢方薬の関係についてみていきましょう。
今津医師の講演の要約文は日本漢方生薬製剤協会の【がん治療と一緒に漢方を】で読むことができますが、ここではそれをわかりやすく紹介します。
がん患者は抗がん剤でも苦しめられる
がん患者さんは少なくとも3回苦しい思いをします。最初の苦痛は、発見時に発生します。「まさか自分が」という思いと「死ぬかもしれない」という恐怖心が交互に胸のなかに去来し、強いストレスを受けます。2回目の苦痛は、がんそのものが発するものです。がんは痛みを生む病気です。最悪、医療用麻薬でないと除去できない痛みになることがあります。3回目の苦痛は、抗がん剤によるものです。
西洋医学でも、がんと闘ってきた今津医師によると、オキサリプラチンという抗がん剤は、急性腎不全、視野障害、貧血といった副作用を起こします。よく使われるドセタキセル、カペシタビン、シスプラチン、パクリタキセルといった抗がん剤も、90%の確率で副作用が現れます。抗がん剤を使うと、かなりの高確率で副作用に苦しむことになり、しかもその苦しみは小さくない、といえます。
漢方薬は、抗がん剤の苦痛を和らげることができます。
抗がん剤の副作用と効果のある漢方薬
次に、どのような漢方薬が、抗がん剤の副作用をどのように和らげるのかみていきます。
牛車腎気丸は婦人科系がん治療によい
腰痛の患者さんに使われていた「牛車腎気丸」という漢方薬が、子宮がんや卵巣がんで使われる抗がん剤の副作用を緩和することがわかっています。婦人科系がんの抗がん剤は、ほぼ確実に手足がしびれる副作用が出ます。しかし、西洋医学の薬ではその症状を抑えることができませんでした。
そこである医師が牛車腎気丸を、婦人科系がんの抗がん剤を使った患者さんに処方したところ効果があり、広く使われるようになりました。現在では、大腸がんや肺がんで使われる抗がん剤の副作用を抑制する効果も確認されています。牛車腎気丸がしびれを抑えるのは、神経を守る薬だからです。抗がん剤は、がん細胞を攻撃するときに神経を刺激してしまい、それでしびれが生じます。今津医師によると、牛車腎気丸は「真綿で包むように」神経を保護して、抗がん剤から守るそうです。
がん治療で弱った体を元に戻す
抗がん剤を含め、西洋医学によるがん3大療法は、患者さんの体を著しく弱めます。抗がん剤は毒性が強いので、体を弱めます。手術は体を切ることになるので、体にダメージを与えます。放射線は元々大量に浴びると命の危険をもたらすものなので、これも患者さんの体力を奪います。
がん3大療法を受けた患者さんは、肉体的にも精神的にも消耗し、歩けなくなる、食欲が減退する、気持ちがふさぐといった状態に陥りやすくなります。
漢方医学では、治療による副作用を含め、体が弱ることを「気虚」といいます。気とは、「元気、気力、体力、食欲」という意味で、虚は「不足」という意味です。漢方医学では、気が不足すると気を補充する治療を行います。これは西洋医学と大きく異なる点です。西洋医学は、体調不良には病気という原因があると考え、それを取り除くことで健康を取り戻そうとします。
がん治療で使う補気剤(気を補充する薬剤)としては、「十全大補湯」と「補中益気湯」があります。食欲がなくなっているがん患者さんには、「六君子湯」という漢方薬が使われることがあります。
漢方薬のエビデンスについて
今津医師は、漢方薬は実際に効果があっても、どのような仕組みで効いているのかわからないことが多い、と話しています。しかし、その漢方医学にも「エビデンスの波」が訪れています。
機序の解明が進む
薬が効く仕組みのことを機序といいます。西洋医学の薬の場合、機序が明確なものが多いのに対し、漢方薬の機序はわかっていないことが珍しくありません。機序が判明していることを「エビデンスがある」と表現することがあります。エビデンスとは証拠や根拠という意味で、西洋医学ではとても重視されています。
科学では、説明でき、再現できなければなりません。エビデンスがあれば説明も再現も可能です。それで、科学のトップ集団にいる西洋医学は、「ただなんとなく効いている」だけの成分は否定的にみられることもあります。
血圧、骨密度、不安などに効果的
漢方医学にもエビデンスを重視する流れがあり、漢方薬の成分の研究が進んでいます。
例えば先ほど紹介した「六君子湯」の有効成分であるヘスペリジンには、「コレステロールと血圧を低下させる」「骨密度の低下を抑制する」「不安を抑える」「血管を補強する」といった効果があることがわかってきました。それで気を補うことができるわけです。
ちなみにヘスペリジンはミカンの皮である「陳皮」に含まれています。同じ柑橘類でもレモンやオレンジには、ヘスペリジンには含まれていません。
なぜ六君子湯は「がんマウス」を長生きさせたのか
がんを発症させたマウスを使った実験で、六君子湯を投与したマウスが、投与しないマウスより長生きした、という結果が得られました。このような話を聞くと「神秘的な漢方医学の効果が、現代医学によって解明された」と考えたくなるかもしれませんが、そうではありません。
元気と健康でがんと闘う
がんマウスが長生きしたのは、六君子湯を投与されたことで食欲が増し、運動量が増え、健康が増進され、がんと闘えるようになった、という「機序」が考えられます。
六君子湯が、がん細胞を直接叩いたわけではありません。
人のがんも同じで、がんと闘うには、患者さんには食欲と運動と、何より健康が必要です。漢方医学によるがん治療では、漢方薬で患者さんを元気にして、患者さんにがんと闘う力を蓄えさせようとします。がん細胞を直接叩くものの、患者さんの健康や体力を奪ってしまう抗がん剤とは、まったく異なる考え方をしています。
まとめ~信じすぎることも否定しすぎることも駄目
「漢方薬とがん治療の関係」と聞いただけで、がん3大療法より漢方薬のほうが優れていると思ったり、漢方薬にそのような力はないはずだと否定したりしないようにしてください。西洋医学によるがん治療だけを信じていると、漢方薬の効果を享受できなくなります。
漢方薬だけを頼りにして西洋医学を否定すると、これまで世界中の医師たちが実績を積み上げてきたがん3大療法を受けることができなくなってしまいます。極端な医療も極端な健康法も極端ながん治療も存在しません。がんに対し、人はまだまだ無力です。西洋医学と漢方薬という2つの武器を使って、がんと闘いましょう。